百合のブンガク~夏目編 [文学]
百合のブンガクというとき真っ先に思い出したのが、夏目漱石の「それから」。
大学時代「漱石ゼミ」にいた私ですが、漱石の「凄さ」を知ったのはずっと大人になってからでした。30代では蓮貫重彦や柄谷行人、そして40代で姜尚中氏の夏目論。何度読んでも読むたびに何かをみいだせ、考えさせられます。最近は小説中の着物にも目を留めるようになりました誰もが高校時代に授業で読んだ「こころ」のお嬢さん、どんな着物着てたと思います?
それはまたの機会として、今回は「それから」の百合。主人公の代助が、親友平岡に譲った三千代を呼び、自分には三千代が必要だと、思いを告げるクライマックスのシーンの百合。美しい描写です。
代助は、百合の花を眺めながら、部屋をおおう強い香の中に、残りなく自己を放擲した。彼はこの嗅覚の刺激のうちに、三千代の過去を文明に認めた。その過去には離すべからざる、わが昔の影が煙のごとく這い纏わっていた。彼はしばらくして
「今日初めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云った。こう云い得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。なぜもっと早く帰ることができなかったのかと思った。初めからなぜ自然に抵抗したのかと思った。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔の中に、純一無雑に平和な生命を見出した。その生命の裏にも表にも、欲得はなかった。利害はなかった。自己を圧迫する道徳はなかった。雲のような自由と、水のごとき自然とがあった。そうしてすべてが幸(プリス)であった。だからすべてが美しかった。
そして、代助は使いをやり、三千代を招き、愛の告白をするのです。それに対して、三千代は「あんまりだわ」と答えます。私こういう言い回しに弱いのです。漱石の文体にぐっとくるのはこういうせりふ。「しようがないぢゃありませんか」とか「あんまりだわ」とか。
百合の、めまいがするほどの圧倒的な香りの中泣く女。
ちなみにこのときの三千代の装いは銘仙の紺絣に、唐草模様の一重帯。
イメージしていただけましたか…?
どうぞ「それから」読んでみてください。雨の中の…咽ぶ様な百合の香…。
2009-07-19 20:00
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0