桜のブンガク・古典編 [和歌]

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桜、言うまでもありません。日本を代表する花木です。

        世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
                                    在原業平

世の中に全く桜がなかったならば、春の時期の人々の心はのどかであったろうに(それほど桜は人々を魅了し、桜にやきもきしていることだ)

ただ、桜というと私たちは染井吉野を思い浮かべますが、染井吉野は江戸時代、染井(今の東京の駒込あたり)で改良された園芸種です。平安時代の桜は花と同時に葉のでてくる山桜系の桜が歌の材となっているのです。

古今和歌集、百人一首で有名な
        
        ひさかたのひかりのどけき春の日に しづこころなく花の散るらむ
                                      紀友則

日の光がのどかな春の日に、どうして落ち着いた心もなく桜の花が散るのだろう(散り急ぐ桜よ、もう少し待って欲しいのに)

の時代になって花=桜というお約束が出来たのですが、ここでの桜ももちろん染井吉野ではないということです。私の個人的なイメージではこの桜は枝垂れ桜なんです。

源氏物語では、光源氏の息子夕霧が紫の上を垣間見る場面がでてきます。当時は女君の顔や姿を見る機会はほとんどありません。夕霧にとって紫の上はいわば継母ですが、父である光源氏は厳重に夕霧を近づけないようにしています。(自分が父の愛する藤壺と密通した経験上、ぬかりありません)夕霧は、父がこの上なく愛している紫の上がいったいどれほど美しすばらしい方なのか想像するしかなかったのです。
 ある風の強い日、夕霧は紫の上を垣間見てしまいます。初めて見た紫の上の目もくらむほど美しく気高い姿を夕霧は春の曙に咲き乱れる桜の花に喩えています。
 紫の上=紫→藤なのかしらと思われていた方もいらっしゃると思いますが、紫の上は桜、藤は光源氏と明石の君との間に生まれた娘、夕霧にとっては異母兄弟にあたる明石の姫君が喩えられています。彼女は後に帝の寵姫となり、皇太子を産んでいます。そういう未来をも含んだ喩えということになりますね。ちなみにもう一人の夕霧の妹(本当は頭中将と夕顔の娘)玉鬘は山吹に喩えられています。彼女は長い間田舎暮らしを余儀なくされていました。艶やかで華やかであるけれども、洗練された美しさとは少し違う素朴さも持つ、そんな女性を想像できます。
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