紅葉のブンガク~百人一首 [和歌]

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以前着物友達のなかで百人一首の会が開かれました。
残念ながら、私は仕事で参加できなかったのですが
その時みなさん
学生時代は全く興味がなかったのに
今改めて百人一首を詠んでみると、気持ちが良くわかったり、共感できたりした
と口々におしゃっていたました。

紅葉を題材にした和歌も、百人一首であれば「あ~聞いたことある!」と思われることでしょう。

ご一緒にどうぞ
まず、紅葉といえばこの歌


奥山にもみぢふみわけ鳴く鹿の












声聞く時ぞ秋はかなしき猿丸大夫


どうです?意外に覚えてませんか?

もう一首

小倉山峰のもみぢは心あらば
今ひとたびのみゆき待たなむ
貞信公


不思議なのはもみぢの言葉が入っている二首はどちらも紅葉の美しさを歌っているのではなく、秋の寂しさを歌っているのです。

では赤く色づいた紅葉はどう歌われているかというと


ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは
在原業平


あらしふく三室の山のもみぢばは竜田の川の錦なりけり
能因法師


このたびは弊(ぬさ)もとりあへず手向山 もみぢの錦神のまにまに
管家


もみぢ+錦、あるいは水の流れ(竜田川)がセットされて紅葉の美しさになっていますね。

特に竜田川とのセットは、流れる水と漂う落ち葉という図です。


そこに美を見つける日本人は独特な美意識をもっているといえますよね。




忘れたくないです。
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雪・梅のブンガク [和歌]

今朝起きたら雪景色でした。
先週出かけた湯島天神では
もう早咲きの白梅が咲き誇っていたというのに。

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雪降れば 木毎(きごと)に花ぞ咲きにける いづれを梅と分けて折らまし

                   古今和歌集  紀友則

雪が降ったので木ごとに白い花がさいた(ようにみえる)ことだ。
(木毎といえば梅のことになるが)どれを梅の木だと区別して折ったらよいのだろうか。


まさにそんな風景でした。梅のような雪の花を、木と毎に分けて表現している
古今和歌集らしい技巧的な和歌です。



でもキモノ女子としては早く暖かくなって欲しいのです!


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撫子のブンガク [和歌]

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撫子はその音から「幼子」をイメージさせます。源氏物語常夏でも、夕顔は頭の中将に娘(後の玉蔓)の行く末を託し、
          山がつの垣ほ荒るとも折々に あはれはかけよ撫子の露  夕顔

          咲混じる色はいづれと分かねども なほ常夏にしくものぞなき  頭中将


幼い子を可愛がって欲しいという夕顔に、頭中将は沢山の女性がいるけれども貴女ほどの人はいないと答えます。このやりとりでも頭中将は娘は頭にないなあという気がしますよね。予想通り玉蔓は母亡き後地方暮らしを余儀なくされ、つらい子供時代をすごします。
 この源氏物語第2帖「帚木」は有名な「雨夜の品さだめ」のくだりが書かれている段です。雨の夜、源氏をはじめ青年たちが女性談義を繰り広げ、その中で頭中将が昔契りを結んだ身分の低い女性の話(夕顔のことです)を始めます。話の中では中流の女性がいいぞ、ということになり、それがきっかけで源氏は空蝉に興味をいだくことになるのです。そしてこのくだりが伏線で、夕顔と出会い、六条御息所が生霊となり…と物語は大きく展開していきます。

源氏物語第22帖「玉蔓」では上記の和歌をうけ再び撫子の和歌が登場します。

         撫子のとこなつかしき色を見ば もとの垣根を 人はたづねむ

 

 枕草子でもなでしこは愛されています。 

         草の花はなでしこ 唐のはさらなり やまともめでたし

また、万葉集でも

       野辺見れば 撫子の花さきにけり わが待つ秋は近づくらしも

   とその辺に咲いてる草花です。雑草に近い感覚だったのでしょうが、万葉の時代から撫子は風に揺らぐその楚々としたいでたちと意外に強いしなやかさとで愛されてきたのではないでしょうか。

        





百合のブンガク~和歌編 [和歌]

 
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百合の語源は「揺れ」であるといわれています。山間の、あるいは人里の、夏の日風にゆれる百合の光景を誰もが思い出すでしょう。 
 といっても、昨今、野の花としての百合はめっきり姿を隠し、大輪の園芸種カサブランカの切花が幅をきかせています。けれども、日本は世界屈指の種類の多さを誇る百合の自生国で、輸出国だったのです。

万葉の時代からそのような清楚な百合の花は、「ヒメユリ」「サユリ」として人々に愛されてきたといえます。 

  夏の野の繁みに咲ける姫百合の知れえぬ恋は苦しきものぞ
                                  万葉集 大伴郎女

夏の野の繁みにひっそりと咲いているひめゆりのように人知れぬ恋はなんて苦しいものなのでしょうと詠む郎女は、大伴旅人の異母妹で、万葉集一の歌人、大伴家持は甥にあたる。夏の熱気、汗ばむような息遣い、人知れぬ恋=片恋に身悶える女、色っぽいです。それでいて、ふーっと楚々とした風が流れるようでもある百合の描写です。
 
 時代は近代になりますが、同じような趣の和歌を。

 さはいへどそのひと時よまばゆかりき夏の野のしめし百合の花
                                    みだれ髪  与謝野晶子

 すっきりと筑前博多の帯をしめ忍び来し夜の白百合の花
                                桐の花 北原白秋

大正浪漫の着物に百合が好まれたのもこのような百合の持つ二面性なのかもしれません。

                    


藤のブンガク [和歌]

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藤は万葉集の時代から歌に詠まれ親しまれてきました。
 須磨の海人の塩焼衣の藤衣 間遠にしあればいまだ着慣れず
                    万葉集 巻三
などで詠まれる藤衣は藤のつるで織った様な粗末な衣類という意味。そこから「藤衣」といえば喪服を意味するようになるのです。海人たちの服ということで、濡れる=涙にくれるという意味も含まれているようです。
また、
  藤波の花は盛りになりにけり ならのみやこを思ほすや君 
                     万葉集 巻三

  わが宿の池の藤波咲きにけり 山ほととぎすいつか来鳴かむ
                     古今集 読み人しらず

といったように「藤波」も藤の典型的な詠まれ方で、藤の花房が揺れ動く様子を波と喩えることからきたようです。 古今集の時代になると、「藤」は「淵」との掛詞となり、池の淵に藤が波のように咲いている様子を描きだしています。
 源氏物語での印象的な藤の描写は若菜上。女三宮の降嫁による紫の上のとの確執から逃れるように、光源氏は朧月夜と久しぶりに会います。朧月夜とは、光源氏の須磨行きの原因となった女性であり、そのきっかけとなったのが20年前の「藤の宴」。このとき光源氏は40歳、ということは、須磨に流されたのは20歳のときってことなのです。
 その後朝の別れの場面で光源氏は
  沈みしも忘れぬものをこりずまに 身をなげつべきやどの藤波
という歌を詠みます。「こりずま」に「懲りる」と「須磨」「藤」「淵」などの掛詞がやはり使われ、「あなたのせいで須磨にまで流され、逆境の淵に沈んだのに懲りもせずにあの藤の宴の日のように身をなげうっているのです」と帰り難い様子をみせます。
 この朧月夜は私が源氏物語の女君の中で一番好きな女性です。若い頃は六条御息所が好きでした。今も六条御息所も好きですが、この、光源氏を須磨に流し、朱雀院に愛されながらなおも光源氏と密会をする朧月夜の、流されているのか、計算してるのかわからない色気が好きです。
 

橘のブンガク [和歌]

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  五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする
                    
                    古今和歌集 詠み人知らず
      
              五月を待って咲く花橘の香をかぐと昔親しかったあの人の袖の香がふとよみがえる

 私の最も好きな和歌の一つです。この和歌を紹介したくてブログをブンガクがらみにしようと思ったほど。
 人間の五感のうち、最も記憶に残るのは嗅覚なのだそうです。ヨーロッパの人や、平安時代の人々はお風呂に入らなかったから香でごまかしていたなんて、よく言われることですがそれは違うと思います。香りは人間にとって、いえ、動物にとってもっとも感情を揺さぶられるものだからこそ、このように追求されたのだと思います。 
 先週見たカルティエ展でも、最後のフロアーに降りてきたとたんふわあーっとほのかな香が漂ってきました。いつか、どこかでこの香に遭遇したとき、つるさんと至福の時を過ごした記憶が蘇ってくるのでしょう。
 街中を歩いていて、ふっと懐かしい香りを感じて切なくなったことあります。柑橘系とタバコのまざったような…。清潔好きと禁煙が当たり前になった現代の若者にはこんな思い出なくなっているのでしょうか。
 ヨーロッパ人は麝香などセクシーな動物性の香りを好む人が多いのに対し、日本人は柑橘系などさわやかなものを好む人が多いといわれています。ラベンダーなどハーブの人気も高いですね。
 平安時代の人にとってこの和歌は誰もが口ずさめるものだったようです。紫式部もこの和歌を源氏物語の中で本歌取りとして何度か和歌を詠ませています。
 
  橘の香をなつかしみほととぎす 花散る里を訪ねてぞとふ
    昔を思い出させる橘の花の香が懐かしいので、ほととぎすがこの花散る里を訪れています。私が訪れた    ように

 亡き父桐壺を偲ぶ光源氏と麗景殿の女御とのやりとりです。


 
タグ:和歌 香り

桜のブンガク・古典編 [和歌]

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桜、言うまでもありません。日本を代表する花木です。

        世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
                                    在原業平

世の中に全く桜がなかったならば、春の時期の人々の心はのどかであったろうに(それほど桜は人々を魅了し、桜にやきもきしていることだ)

ただ、桜というと私たちは染井吉野を思い浮かべますが、染井吉野は江戸時代、染井(今の東京の駒込あたり)で改良された園芸種です。平安時代の桜は花と同時に葉のでてくる山桜系の桜が歌の材となっているのです。

古今和歌集、百人一首で有名な
        
        ひさかたのひかりのどけき春の日に しづこころなく花の散るらむ
                                      紀友則

日の光がのどかな春の日に、どうして落ち着いた心もなく桜の花が散るのだろう(散り急ぐ桜よ、もう少し待って欲しいのに)

の時代になって花=桜というお約束が出来たのですが、ここでの桜ももちろん染井吉野ではないということです。私の個人的なイメージではこの桜は枝垂れ桜なんです。

源氏物語では、光源氏の息子夕霧が紫の上を垣間見る場面がでてきます。当時は女君の顔や姿を見る機会はほとんどありません。夕霧にとって紫の上はいわば継母ですが、父である光源氏は厳重に夕霧を近づけないようにしています。(自分が父の愛する藤壺と密通した経験上、ぬかりありません)夕霧は、父がこの上なく愛している紫の上がいったいどれほど美しすばらしい方なのか想像するしかなかったのです。
 ある風の強い日、夕霧は紫の上を垣間見てしまいます。初めて見た紫の上の目もくらむほど美しく気高い姿を夕霧は春の曙に咲き乱れる桜の花に喩えています。
 紫の上=紫→藤なのかしらと思われていた方もいらっしゃると思いますが、紫の上は桜、藤は光源氏と明石の君との間に生まれた娘、夕霧にとっては異母兄弟にあたる明石の姫君が喩えられています。彼女は後に帝の寵姫となり、皇太子を産んでいます。そういう未来をも含んだ喩えということになりますね。ちなみにもう一人の夕霧の妹(本当は頭中将と夕顔の娘)玉鬘は山吹に喩えられています。彼女は長い間田舎暮らしを余儀なくされていました。艶やかで華やかであるけれども、洗練された美しさとは少し違う素朴さも持つ、そんな女性を想像できます。
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桃のブンガク [和歌]

桃と言っても今日は花桃の話です。
今年は暖冬の影響か桃の開花がずいぶん早い気がします。すでに満開を迎えている桃を見かけます。花桃の着物を持っていらっしゃる方はあせっていることでしょう


私が万葉集の中で好きな和歌の一つに花桃を歌ったものがあります。

    春の園紅にほふ桃の花 下照る道に出で立つをとめ
                            大伴家持

美しい和歌です。万葉集の特徴「ますらをぶり」と呼ぶ、雄雄しい男らしさは家持の時代には影をひそめ、平安時代の女流文学につながる華やかな美しさが現れてきます。桃色の満開の花の下にたたずむ少女の姿。まるで、桃源郷に迷い込んだような情景ではありまさんか?少女でありながら妖艶なイメージも見え隠れするのは、桃の花色が白梅、桜に比べて鮮やかだからかもしれません。
 渡来植物の桃は当時の日本人にとってとてもモダンな花木だったのです。そして、陶淵明の「桃花源記」にあるように、理想郷(ユートピア)には桃が咲き乱れ、人々はその中でのどかに田畑を耕し、ゆったりと釣りをするのです。
そして、桃の実は長寿の薬でもありました。桃の実(西王母)の話はまたに譲るとして…。

近くの桃畑が美しかったので、夫ちゃんに写真を撮ってもらいました。

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  すみません。もと「をとめ」です。
タグ:花桃 和歌
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梅の和歌 [和歌]

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        東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな
                                        菅原道真

京都の梅は満開でしょうか?太宰府天満宮はどうでしょう?でも、着物の梅は今年はおしまいですね。
 もともと日本人にとって花は梅でした。古今集時代に桜の美しさが歌われるようになりますが、それでも、最初は「桜花」と言っており、「花」だけでは桜をさしませんでした。
 梅も舶来の花木ですが、日本人に愛され、万葉集の時代からたくさんの梅の歌が詠まれています。 
 万葉集では、

        春の野に鳴くやうぐいすなつけむと 我が家の園に梅が花咲く

 と既に梅と鶯の取り合わせが見られています。
 また、

        わが園に 梅の花散る ひさかたの天の雪の流れくるかも

 梅が雪のようだと表現されているように、この頃の梅は白梅をさしています。
 それが、古今集の時代になると紅梅の梅が表現されるとともに、そのかぐわしい香りを材にとったものが多くなります。

        君ならで誰にか見せむ梅の花 色をも香をもしるひとぞしる
                                        紀友則

 あなた以外の誰に見せようかこの梅の花を。色も香もわかる人だけがわかるのだから。

いにしえの人々は現代人より嗅覚は敏感だったはず。夜は闇、天然の香りしかなかったのですから。
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タグ:梅 和歌
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西行と桜 [和歌]

願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

あまりに有名な西行の歌です。この願いのとおり、西行は2月16日に亡くなりました。今日はその西行の命日。もちろん、旧暦如月ですから、本当はもう一ヶ月ほど先の桜の季節ということになるでしょう。
 40代から盆栽と植木が趣味だった父の影響で、私も草花よりは花木のほうが好きです。実家には四季折々のの花が咲いていました。梅や柿、スモモが生り、鳥がその実をついばみ、蜂や毛虫も生活の一部でした。春浅い日、蝋梅の花を一枝おり「いい香りだぞ」と部屋へ持ち込んだ時のなんともいえない春の気配を今でも覚えています。それらの花木は、父が亡くなって管理できる者がおらず、植木屋さんに引き取ってもらいましたので、今では家族の記憶の中にしかありませんが。
 さすがに庭には桜はなかったのですが、やはり桜は特別です。誰でもそうではありませんか?
 先日購入した桜の着物と帯のご紹介は着た姿でということで(出し惜しみです)今日はいくつか思い出の品を。



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20年ほど前京都に沙羅双樹の花を見に行ったとき、弘法さんで購入しました。ああこの頃から着物に目覚めていれば…。



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大好きだった、これも20年ほど前に来ていたちりめんのブラウスとスカート。入りません(涙)



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バッグを作ろうと思って骨董市で購入した古布。今は帯揚げ用。


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先月地元の骨董市で購入。実はアンテイークモールの二藤さんの左側斉藤さんのお店。ここは素敵な縮緬ありますよ。モールの方だと全く知らず、骨董市で買ってました。

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